「フラッシュライトの光るのに気付きましたか」と尋ねられたので、私は「いいえ」と答えました。事実全く気付いていなかったので、そう答える以外にはありませんでした。
7月20日朝5時16分、私はいつもの道をいつものようにひとり車を運転し、差し掛かったのが国道17号線のとあるポイントで、走行距離にして100km余り。出発してから2時間20分ほど経っていました。目的地まであと約45分.。基本的には毎月曜日勤務先の病院の所在地に向かっておよそ130kmの行程を移動しなければなりません。、その日は振り替え休日後の火曜日でしたが、出発予定時刻より30分送れで自宅を出て群馬に向かいました。移動の途中必ずと言っていいくらいその辺りまで来ると強い眠気に襲われ、時に路側に車を停めて一休みすることもあります。しかし、その日私が選択したのは思い切りアクセルを踏み込むことでした。恐らくその瞬間、オービス一閃、猛スピードで通過する私と車の姿を捉えたのであります。
少し言い訳がましい話になりますが、呼吸不全でいつ急変するかも知れない私の知人の父親である患者Sさんの所に一刻も早く顔を出さなければいけないと思っていたのも事実です。急変時には必ず連絡が入ることになっていました。 7月16日病院を離れる際に「少しの間留守にしますが、出来るだけ早く戻ってきます」と言い置いてあったからです。その時彼は「気を付けてお帰り下さい」と言いました。
病院に着くと、夜間当直のH君に外来を開けて貰い白衣に着替え、6時半少し前、Sさん部屋のドアをノックしました、。酸素マスク越しに苦しい息の中、「朝早くからご苦労様です」と横臥の彼は頭を下げる動作をしました。
7月23日金曜日、今度は逆に群馬を発って,つくばに向かう道中です。3時間半程の自動車運転ののち自宅に着くと、群馬県の交通機動隊からの封書を父から手渡されました。刹那、言葉では表現しづらい何とも不快な感覚が体の表面を急激に走ってゆくのが分かりました。中身を見なくともあの時以外にないと直感しました。そして、恐る恐る封書を開けると、まさにあのアクセルを踏み込んだ一瞬の出来事の報復であることを思い知らされる羽目になるのであります。。そして同時に、免許取り消しにでもなったらどうしよう、という不安が一気に頭を擡げて、絶望の淵から奈落に向かって落下して行く心持ちを味わうことになります。出頭,8月31日午前9時。
その書類は厭味なことに走行時のスピードや超過速度の記載もなく、当方「犯罪者」とは言え、或いは何らかの意図があるにせよ、徒に不安感を煽るやりかたには不快感を禁じ得ず、それは丁度、猫が獲物のねずみを一気に食べずに弄ぶ仕草にも似ていると思いました。この時、走行速度によっては一発免許取り消しというのもあると思い込んでいましたので、通勤の問題から病院を辞めなければならないこともあるとまで考えていました。しかし、あれこれと思い悩めば悩むほどに、これまでの大変であった数多くの記憶が甦って、時間と共に不安の感情は寧ろ薄れて行くのが分かりました。そして、今回のことで最悪の場合を想定してみても、終には胆が据わって、失うものは左程多くはないぞと思うようになりました。そんな瘋に私が冷静さを取り戻しつつある折りしも、Sさんは7月27日、永眠されました。
7月31日、朝9時、手紙の指示に従って出頭しました。「私は終始冷静でした」とでも言いたい所ですが、さすがに取り調べの警察官(婦警)の前に座った時には少し緊張しました。結果、38kmオーバー、減点6点。30日免停というものでした。罰金の額は知らされていません。ただ、次回簡易裁判所に出向く際には「10万円ほど用意して置いてください」といわれました。
帰り、車を運転して午後の外来勤務に向かう時、目の前を如何にもゆっくり走る初心者マークの軽自動車を思わず追い越しそうになりましたが、一瞬オービスのフラッシュライトの幻影が脳裏を過ぎり、アクセルペダルに込め掛けた力を素早く抜くと、50キロ余りのスピードに最後までついて行きました。こういうのを教育効果と呼ぶのだろうと思いながら阪東橋を渡りました。 (Mann Tomomatsu)
先日,ボクの後輩は,
100kmオーバーで,免停になりました。。
ボクは,昔ーしに,30km(酒気帯び・酒酔いは見逃しで)
免停になりましたが,中途半端はいかんです。。
腹がたって!!!!!