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	<title>茨城県牛久市のはなみずきクリニック</title>
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		<title>近づく春と、もんちゃんの散歩について考える</title>
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		<pubDate>Tue, 20 Mar 2012 15:31:16 +0000</pubDate>
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				<category><![CDATA[はなみずきクリニックのブログ]]></category>

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		<description><![CDATA[土、日の朝５時ともなると、もんちゃんの執拗な散歩の催促はぺろぺろから始まり、こちらが素早く反応しなければ耳たぶを咬む、挙句に顔を踏ん付けたり、頬を噛ったりとひたすらエスカレートして行くので、終に抗い切れずに堪らず表に出て行くのです。３月も半ばを過ぎて寒かったり、そうでもなかったり、とまだまだ陽気は一定しませんが、東の空はすっかり白み愈々春のそう遠くないことを予感させます。一方で、散歩に出掛けて行く私の出で立ちは依然として真冬対応の侭なのでゆっくり歩いても２０分もすると体は汗ばんで、もんちゃんの曳きに合わせて走ったりしようものなら俄かに体温は上昇し、真冬ならやっと体が温まる頃なのに、すっかり汗をかいてしまう始末です。 &#160; 前にも書いたと記憶しているが、こんな春の兆しの訪れと、白々しい明るさや、薄手の上着にいつか着替える温暖で能天気な気候が余り好きではありません。それは、遠い過去の様々な疎ましい記憶が明るい桜色の春の上に重層して澱んだものにしているからに相違ないのです。しかも、地球温暖化の結果としてその後に引き続く忌まわしく暑い夏を思わずにはいられません。つまり、一見のどかな春は今や悪役にも例えるべき夏の露払いに成り下がっているのであります。私も本音は声高らかに春よ来い、と言いたい所だが、年々その心境は複雑になっています。 &#160; 散歩のコースは概ね決まっていて、クリニックを出て南に行けば、牛久シャトーの外郭を巡っておよそ５０分、北に行けば、牛久警察署方面で、それより手前をU-ターンし常磐線沿いに戻って１時間１５分、西に向かえば太田胃酸の工場を右に見て１時間半と言った具合です。いずれのコースでも家々の花壇、農家の庭先、マンションの植え込みには新緑が溢れて賑やかになりつつあり、うっとうしいと感じる程なのに、近くの公園は何処でも例外なく禿山の様相を呈して、生々しい除染の後は畝起こしでもしたかのように芝生や潅木の下草は姿を消し、茶色の地肌を晒しているのです。　しかも所々にブルーシートが地面を被い、その様は前夜から始まる無人の校庭での運動会の場所取りのようであります（家族の皆から私の仕事だと言われるので、子供らが谷田部小学校に通っていた時分、毎年のようにブルーシートを敷きに行ったものです。私はそれが大嫌いでした）。 &#160; もんちゃんは直に何でもペロペロやるので、セシウムなどを含んだ雨が降り続き、その結果として放射性物質の蓄積している可能性のある公園の芝生などの汚染具合は大変気になる所でした。有害事象をより排除しようという試みとその結果として損なわれた景観との両者を、同時に肯定し受容出来辛いのは、故郷の町の区画整理やインフラの整備が進んで便利になった一方で嘗て見た懐かしい光景がなくなってしまって戸惑っているのに似ているような気がします。だから、私の知人は自分たちの健康被害を心配してか、飼い犬を安心して散歩させる為か、震災の一周年を待たず県外に引っ越して行きました。成る程もんちゃんのことを思えば、出来るだけ西の方に移住するのが良いのだろうけれど、諸般の事情はそれを許すこと能わず、金輪際茨城を引き払う訳には参りません。しかも、多くのヒトがその地に留まるのであるから、羹に懲りて膾を吹く、とまでは言わないまでも、疑心暗鬼を生ずる如く慌てて永年住み慣れた故郷とも言うべきこの地を後にすることは到底出来ません。一説には五十年ほど前、米･ソの核実験が盛んに行われた結果、大気中には現在の一万倍もの放射能が存在したそうであります。 &#160; &#160; 夜明け前、明日もまたもんちゃんを連れて、散歩に出掛けます。 （Ｍａｎｎ　Ｔｏｍｏｍａｔｓｕ） &#160; &#160; &#160;]]></description>
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		<title>そして今年も同窓会</title>
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		<pubDate>Sat, 31 Dec 2011 01:57:56 +0000</pubDate>
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				<category><![CDATA[はなみずきクリニックのブログ]]></category>

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		<description><![CDATA[年に一度の同窓会も既に３０回程になっている筈で、最初がいつであったかの記憶も定かではありませんが、今年の当番幹事の私は七月頃から会場探しを始めました。不確かな記憶を辿ってみても、多分この１０年間に筑波山神社の直近くの老舗旅館が二度、そこからそう遠くないホテルが一度選ばれていたので、今回は出来る限り筑波山から離れた場所にしたかったのです。主に霞ヶ浦周辺の宿泊施設のパンフレットを取り寄せてみましたが、震災の影響で現在休業中の施設やビジネスホテルのように小さな区画に分宿するものが多く、大きな部屋に７人全員が宿泊できる昔ながらの旅館は見つかりませんでした。さもないことのようですが、泊り掛けの宴会の場所を探すというのは、色々な要素を加味して事を決めねばならず、結構手間のかかる作業です。 &#160; そうこうしている内に十月も半ばを過ぎてしまい、暫く放ったらかしにしていた問題を解決すべく、再び土浦市内のホテルやつくば市内のホテルに電話を掛けたり、インターネットのホームページを頼りに情報を集めてみたりで四苦八苦しましたが、結局牛久沼のほとりのホテルに決着しました。直に全員に連絡を取って日取り（１１月２６日）の調整が済むと、ホテルの案内と企画書を十月末までに郵送することが出来ました。ところが直後、その近所に住むはなみずきクリニックの従業員が「あそこは近くに住む子ども達の合宿や町内の敬老会に利用したりする施設で、およそ先生方の同窓会には相応しくないと思います」というようなことを言うものだから俄かに不安になり、恐る恐る現場を訪ねてみることにしました。 &#160; 車のナビを頼りに目的地周辺まで来ると、少なくとも外観的には余り問題なさそうだし、駐車場を見ても、そこにあるのは概ね普通の乗用車で、トラックや小型バスといった類は見当たらず、県外ナンバーも何台もあって、少し話が違うかもしれないという期待が出て来ました。更に、フロントの係りにお願いしてホテルの中を見学させて貰うと、築２５年余り、立派とまでは言えないものの、遠くから遣って来る友にも詰まらない言い訳をしないで済みそうでした。クリニックに帰って早速下見の感想を話すと、件の従業員は如何にも怪訝そうで不満そうに、それならばどうぞ御自由に、というような顔をしました。 &#160; 例年の同窓会の宴会料理で旨いと言えるものに出会った事が無かった為、他の施設では殆ど禁止されている「出前」を注文することにしました。その事はホテルも了解済みで、注文先は行きつけの「四季彩」です。当日、午後４時の開宴に合わせて、ビールに日本酒、ウィスキー,焼酎、刺身、串焼き、オードブルと宴会料理一式ダンボールにして５箱程が７人部屋に運び込まれました。見るからに支払った金額に比して品物は量的にも質的にも過分で、しかも２０km余り遠方から運んで来て貰う為、却って「四季彩」のご主人には悪いことをしました。　おまけに夕食は別途頼んであったので全部を食べきることが出来ませんでした。しかし、その夜の宴会がいつもより豪華であったことは間違いありません。 &#160; 基本的には、幹事の仕事は良かれ悪しかれおよそそこまでで、後は例年の如くこれといった催し物も無く、１０時を過ぎた頃には４人が布団の中で、１２時過ぎには全員横になっていました。翌朝、７時半に朝食を摂ると、幹事の最後の仕事である会計を済ませ、「また来年」と少ない言葉を皆と交わして、また散り散りになって行くのでした。今年こそは何か盛り上がりを作ってみたいと思っていたのに、結局いつもの「寝よう会」になってしまったのです。そして来年も僅かな時間を一緒に過ごすだけの「寝よう会」でも、全員健康で集まれることを心から祈るのであります。尚、来年の宿泊先は大洗に決まったようでした。 &#160; 皆が三々五々ホテルを後にするのを見送った後、晩秋快晴の青空をひとしきり見渡すと、はなみずきクリニックの日曜外来の為一目散で車を飛ばしました。そして、いつもの生活が私を待っているのです。 &#160; &#160; &#160; &#160; &#160;]]></description>
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		<title>諦観</title>
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		<pubDate>Sun, 23 Oct 2011 04:20:02 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
				<category><![CDATA[はなみずきクリニックのブログ]]></category>

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		<description><![CDATA[気が付けば今年も余すところ三ヶ月足らずとなり、ひたすら駄眠を貪り掛け替えのない日々を消光したとばかりはいえませんが、殊更自慢出来るようなこともない一年になりそうです。但し、寄る年波、最早更なる自己実現の願望などは殆ど持ち合わせず、平凡且つ平穏なる日常こそが至福なり、と公言して憚らない点とは矛盾していないのに、何故か物足りないと感じる、それを他人は未練と言うでしょう。確かに昔のように研究に没頭するある種の義務感や専ら思索を繰り返す絶えざる情熱もなく、創造的な欲求は加速度的に低下して行く一方で、よくよく考えてみれば、今直ぐ死んでも一切の後悔もないという訳にもいかず、数え出せば、未練という忘れ物が心の内にうず高く積み上げられて行くのもまた事実です。 更には、世の中も思い通りには行かないこと尽くめで、円高、株安は留まる所を知らずギリシャの財政危機の話は対岸の火事などと言っていては全くもって済まされず、我々の尻の辺りからきな臭い匂いが漂い始めている事を多かれ少なかれ自覚しない訳には行きません。だからと言ってこれといった事もせず、手を拱いている自分を情けないと思いますｶﾞ、無力感ばかりが先に立って、まさかの時のために如何ばかりかの現金を手元に置いておいた方がいいなどと考えるのが関の山です。 そして、今年は様々の自然災害が矢継ぎ早に起こりました。東日本大震災に始まり、その傷が全く癒えぬ間に台風が来れば西日本は広域で大水害ｶﾞ発生し、多くの人命が失われました。つい数日前のニュースでもタイの大洪水の映像がテレビの画面に映し出されると、信じ難い光景に愕然とせざるを得ませんでした。そして、ギルｶﾞメッシュやノアの大洪水は単なる伝説ではなく、そう遠くない未来、我々は更なる想定外の不幸な現実に直面しなければならないという危機感を抱いたのは私だけでは無かったでしょう。 昔見た映画に「世界大戦争」と言うのがありましたが、それは、核保有国が一斉に発射した核弾頭を搭載したミサイルｶﾞ世界中で爆発し、地球が溶岩のような高熱の無構造の泥流に被い尽くされ滅亡すると言う話でした。　大爆発までに残された僅かな時間、何処に逃げても同じなのに人々はひしめき合い、当ても無く何処かに向って行くという無意味な、しかし、本能的な行動を取るのでした。　残念ながら我々を取り巻く人為的環境も自然環境も最早余談を許さない所に来ているような気がしてなりません。しかし、今の自分に出来る事と言えば、各種電化製品に関する節電とプリウスを運転しての省エネ位のものです。　そして、世界大戦争の時はもんちゃんを連れて逃げ惑うばかりです。]]></description>
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		<title>震災の夏に思うこと</title>
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		<pubDate>Wed, 31 Aug 2011 14:19:58 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
				<category><![CDATA[はなみずきクリニックのブログ]]></category>

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		<description><![CDATA[　今年の夏を暑い暑いと言う人は、去年の夏エアコンを目一杯効かせ、一旦表に出ると唯ひたすら茹だるような日々の続いていたことを忘れてはいませんか。それ迄殆ど気にしていなかった節電に対する義務感と計画停電の恐怖心から、エアコンの設定温度も28度と高目にしてあるので、確かに暑いと感じる事が無いと言えば嘘になりますが、単純に8月の平均気温を比べても、恐らく有意に今夏のそれは低く、比較的凌ぎ易いということが証明できると思います。分けても、今年特筆す可きは、真夏というには朝夕の比較的過ごし易かったことと,朝未き寒いとすら思える日が何日もあったことです。どうであるにせよ、散歩の大好きなもんちゃんは何も言いませんし、早朝或いは夜更けの散歩の後の体温上昇もさほど辛くも無いと思っているに相違ありません。夜は足を洗うだけで済ますことが多いのですが、朝は、帰宅する頃は気温も可なり上昇するので、体温を下げる目的もあって必ず全身を隈無く洗い、未だに抜け落ちる毛の多さに驚かされます。ａｐｏｔｏｓｉｓに依る年に一度の毛の生え変わりは一体いつまで続くのでしょう。そして、やや唐突な話をすれば、そろそろ出回る年に一度の新米は綺麗な透明度の高い良質なものであろうと期待して良いのではないでしょうか。 　一昨年の夏、もんちゃんは牛久シャトーの噴水の池に飛び込んで飛沫を上げ、しばし夏を満喫した筈ですが、院長に厳しく注意されたこともあり、昨年は猛暑にも拘らず散歩の道すがら横目で見つつ隙を窺うもんちゃんの手綱をぐっと引いて制止したものです。正直に言えば、一、二度もんちゃんはごく短い時間、池の水に足を浸けたようにも思います。しかし、今夏は、牛久シャトーで一般公開されていた国指定重要文化財のワイン倉庫（二階建て、15ｍ×70m×15m程度と推定される）の正面の扉は震災後半年近く経った今でも閉鎖された侭で、その前に設えられた噴水の池には水がありませんでした。創建以来百数十年になる赤レンガ造りの外観は震災の前後で全く変わった所は発見できませんでしたが、内部の陳列物や棚などの内部構造物にも多大の被害のあったことを予想させます。一日も早く再公開されることを望んで止みません。そして、あの小さな池が水で満たされる日の早からんことを思い、院長の制止の言葉を遮って飛び散る噴水の下、もんちゃんが思う存分水浴びする姿を想像してしまうのであります。言うまでも無く、そんなことは決してさせない積りですが・・・。 　4月に予定されていた日本産婦人科学会が8月29,30,31日、4ヶ月遅れて大阪で行われるのを機に、久しぶりに出席して来ました。既に研究から離れて10年以上にもなり、唯会場の椅子に座って発表演題を聴いていました。分子生物学分野の進歩には目を見張る物がありますが、方法論の受売りが目立って、きちんとした作業仮説を立てたオリジナリティーの高い研究発表は相変わらず少ないと言う印象でした。研修医2年目の吾が息子は周囲の反対を他所に産婦人科に進むと言っています。最終的には何科に行くかは分かりませんが、間も無くその意志表示を大学にしなければならず、もしそうであるならば、是非研究の道に進んで貰いたいし、出来れば私の遣り残した仕事（妊娠中毒症と好中球による血管内皮障害と血管内皮のｆｒａｇｉｌｉｔｙ、分娩発来機序とテロメア）も完成させて貰えればと期待します。尚、妊娠中毒症を妊娠高血圧症候群と言い換えたことに依って、寧ろ真の病態論から遠ざかってしまったような気がします。（Ｍａｎｎ　Ｔｏｍｏｍａｔｓｕ）　　　　　　　　　　　 　]]></description>
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		<title>もんちゃんももう三歳</title>
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		<pubDate>Sun, 24 Jul 2011 18:41:38 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
				<category><![CDATA[はなみずきクリニックのブログ]]></category>

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		<description><![CDATA[　七月二十五日、三回目の誕生日を迎えるもんちゃんは「花粉症の疑い」を除けば、これと言った病気にも罹らず、ケガをするような事も無く息災に暮らして参りました。近況、夏バテの徴候もなく、旺盛な食欲は減退する気配もありません。彼が元気であるばかりでなく、見た人の多くは彼の眼差しはヒトのそれのようだと言い、彼の発する優しく穏やかなオーラが周囲の人間に対しても健康や幸福を与えていると思えてなりません。パスカルは病弱を讃えたといいますが,健康であるということは無条件に喜ぶ可き事であります。 　知人の飼っている十歳になる愛犬（マルチーズ）は二歳の時、癌を発病し術後抗癌化学療法を受け一命を取り止めました。ところがつい最近、肉眼的血尿から尿管結石、膀胱腫瘍が見つかり、再び手術を受けることとなりました。石の処置は兎も角も、多発性であるそれらの腫瘍が悪性であれば、命に関わることを覚悟しなければならず、友人は意気消沈、憔悴し切っていました。４日間の入院で帰宅出来たものの、病理組織の結果が判明するまでの時間は長く、更に戦々兢々として一週間余りの日々を送らねばなりませんでした。お蔭で見ているこちらもやきもきするような思いをしたのですが、結果は幸いにして良性。一時尿管結石の症状が出たようでしたが、今ではすっかり元気になって家の中を跳び回っているという話です。ヒトの不運を引き合いに出しても何ですが、多くのヒトを癒しているもんちゃんがひたすら健康で、終生手術などを受けることがありませんようにと祈るばかりです。　 　最早愛犬とは肉親と同列若しくはそれ以上で、病気の時は言うに及ばず普段の生活でも彼を中心に家族が動いていると言って過言ではない、とその友人は言っていました。だから、旅行の計画を立てる時でも、愛犬の同行が叶わない場合には、ホテルに預けるのも心配なので、必ず家人の誰かが一緒に残るといった具合だそうです。 　考えてみればもんちゃんの場合もそれに近いものがあって、月に何度か皆で食事に出かける数時間を除いて長時間ひとりにすることは滅多にありません。海の日の前後、院長の学会出張で「はなみずき」を延べ三日間空けるに当たり、その間は私が留守を預かりもんちゃんの世話をすることになりました。家の中での彼はしばしば私の側に寄り添ってくるので、起居を共にするという又とない時間を過ごしました。ただ、三十分程の買い物に出掛ける時にはひとりで留守番をさせることになりますが、実に悲しそうな顔をするので、後ろ髪を引かれる思いで彼を置いて出ざるを得ず、用事もそこそこに出来るだけ早めに帰って来なければなりません。他の犬でもそう見えることがあるかも知れませんが、もんちゃんは、実に、酷い寂しがり屋なのです。そのためか、嘗て出場した甲斐犬の展覧会では昔のブログで御報告した如く、大方の予想に反して二十四頭中七位という成績だった訳です。彼の名誉の為にももう一度出場の機会があれば、と思うことがありますが、散歩の途中顔を見ただけでは雌と間違われることもあったりして、雄の甲斐犬に求められる可き資質は、残念ながら彼には少し足りないかも知れません。そんな箱入り息子に育っているとすれば、その責任の多くは私にあるでしょう。 　そもそも甲斐犬とは、他の犬を噛み殺すとか、飼い主以外には懐かないとかいう獰猛且つ孤高であるというような属性を以って特徴付けられる可き犬種であると世間では認知されています。そこで、以前この点に関して、彼が余りにフレンドリーであるのはまだ幼いからで、何れ「本物の甲斐犬」に変貌するのではないか、ともんちゃんのブリーダーの「先生」に尋ねた事がありました。その答えは否で、「恐らく変わることはない」、というのが彼女の答えでしたし、今はまだその予言の通りです。　 　もんちゃんに対する期待値は特別高いものではなく、彼の健康と安全の継続であり、そして、これを末長く見守っていられることが最も強い私の希望です。しかし、一種の欺瞞かも知れないが、時に危険を顧みない彼の勇猛果敢さを想像する事があって、斯くの如きアンビバレントな思いがふと自分の心の中で葛藤することがあるのもまた事実です。　　　　　　（Ｍａｎｎ　Ｔｏｍｏｍａｔｓｕ） 　]]></description>
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		<title>はなみずきクリニック開院三周年記念に扇風機を買うということ</title>
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		<pubDate>Mon, 18 Jul 2011 06:03:47 +0000</pubDate>
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		<description><![CDATA[　２００８年の７月１日を開院日に早３年が経過しました。私や家内は週末に入るだけでクリニックの経営に関しては大して役に立っているとは言えませんが、院長の努力の甲斐あって大過なく此処まで来ました。かと言って、困ったことが何も無かった訳ではなく、中でも受付と会計を担当してもらっていたKが家庭の事情から突然実家に戻らねばならないこととなり、人事担当の私は当初少し混乱し、間も無く受容し、直に腹を括ると、考え得る所有る可能性の検討に入りました。後任人事とは言っても、それは人探しそのもので、手当たり次第に脈のありそうなところを当たってみました。従妹や私の妹を候補の筆頭にに色々と折衝してみたものの、中々決まらず結局大いに迷走しました。何処でも何時でも、個人経営で最も頭を悩ませるのはスタッフのことである、とは先輩諸氏の共通見解であるようです。 　　スタッフの問題が落ち着いたと思う間も無く東日本大震災が起こり、夏の節電が声高に叫ばれるようになり当院も積極的にこれに参加することを表明することとなりました。幸いなことに、長期の天気予報によれば、今夏の暑さは昨年ほどではない、という話でしたが、いざ蓋を開けてみれば、此処の所の暑さはどう控えめに評しても昨年未満ということはなさそうで、一杯食わされたの感を否めません。外来の暑さを訴える患者さんも日増しに増える中、節電をモットーに、しばらくの間待合室の窓全開でひたすら外吹く風を頼りに対応してみましたが、さすがにほぼ閉鎖空間たる各ブースの暑さは診療に差し支える程となり、「外来にエアコンが入っていないのははなみずきクリニックさんくらいのものです」というようなお節介な事を通告する薬屋さんまで出る始末で、７月中旬からは涙を呑んでエアコンを入れることになりました。だから、更に節電効果を挙げるためにも扇風機を計８台購入したわけであります。成る程、エアコンの設定温度を２８度でも扇風気が回っていれば、いまのところ充分外来の暑さには耐えられそうです。 　日本のエアコンの普及率は現在ほぼ１００パーセントになっていますが、大阪万博のあった１９７０年では２～３パーセントに過ぎなかったそうです。つまり、当時を思えば、殆どの家庭では団扇か扇風機で夏の暑さを凌いでいたことになります。しかし、単純に現在とその頃の生活様式を比較することが出来ないのは、地球温暖化による絶対的な自然環境の変化を無視出来ず、我慢出来たのに我慢しないとはけしからんというような論調でものを語ることは出来ないかもしれません。唯言える事は、幸か不幸か人は真夏でも全く暑さを感じないで済むことが可能なエアコンという禁断の木の実を口にしてしまったということです。吐き出すことは出来ない。しかし、何処まで後戻りできるか、はたまた、計画停電などという煮え湯を飲まされずに済むか、最早自堕落な生活は許されないでしょう。今年は間違いなく、我々の将来の方向を決めるべき試金石となる年と覚悟を決めなければいけないような気がします。（Ｍａｎｎ　Ｔｏｍｏｍａｔｓｕ）]]></description>
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		<title>震災の後で</title>
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		<pubDate>Mon, 18 Jul 2011 05:53:39 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
				<category><![CDATA[はなみずきクリニックのブログ]]></category>

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		<description><![CDATA[　昨年暮のブログを最後に、起稿する機会を得ず、半年余りが過ぎました。この間、左程重大な事があった訳でもないのですが、何くれとなき些事に追われ、何度か書き掛けたブログの文章も落ち着いて推敲するといった心持になれませんでした。そして、院長からせっ付かれていた事もあって愈々本気で書こうかなと思っていた矢先、古今未曾有の大震災に遭遇しました。 　その日、私は有給休暇を取ってつくばに居り、午後からははなみずきクリニックの小手術に立ち会うことになっていました。開始は午後三時の予定と連絡を受けていましたが、虫の知らせか、今更ながらに開始時刻を三十分早めて欲しい旨を院長に伝えたのは僥倖と言うべきだったでしょう。手術は二時二十五分頃から始まり,十五分後には家族への説明も済んでいました。今回に限ったことではなく、また必ずしも手術の内容によらず、手術が無事終了した安堵を感じるもので、その時私は少し寛いだ気持ちで午後四時の診療開始までには少し間のある人気の無い外来にいました。そして、そこに立って最近掛けたばかりの自分の絵を改めて眺めていた時、前触れ無く密かにそれはやって来ました。　　 　午後二時四十六分、腹に響くような地鳴りと共に徐々に大きくなって行く振動を体感しつつも、高々いつもの地震くらいのものだろうと、やり過ごす積りでした。しかし、予想される最大振幅までの時間を過ぎてもそれは収束する気配を全く見せず、益々増してゆく振動は私のいる空間の更に未知の次元に向って膨張して行く気配となって、高を括っていた余裕が一転驚愕、戦慄へと変化してゆくのを判然と感じました。その時、入り口付近にいた従業員が絶叫していたのを良く覚えていますが、私にはまだ少しの余裕があったと思います。ただ、受付の脇にあるカルテが束になって落下する音に始まってあちらこちらから聞こえてくる好ましからざる様々な音は日常の秩序を破壊する天変地異に他ならず、殆ど自然災害を他人事のようにしか受け止めることのなかった私にとっても、これは大変ことになるかも知れないという漠然とした被害者の感情が胸の奥に芽生えました。 　地震の揺れが東から伝播してきた為、一階のクリニックでは、東西に配列してあったカルテや薬局の薬はは可なり床に落下していましたが、南北に面してある本棚では全く影響を受けませんでした。口早にそれらの始末を大雑把に済ませることを指示し、手術室に横たわっている患者に問題のないことを確かめた後、二階に駆け上ると、大したことは無いと言いつつ、割れたガラス器や酒瓶の片付けを始めている冷静な院長の姿と部屋の隅で震えているもんちゃんを発見しました。だから、もんちゃんはその後の余震の度に震えながら耳を寝かせベッドの下に潜ったり、院長の懐に身を寄せたりしています。 　総じて、はなみずきクリニックの被害状況はたいしたことは無かったと言えます。一方、直線距離にして8ｋｍほど離れたつくば市の我が家は屋根瓦の一部が落ち、本棚の本は大半が床に投げ出されてうず高く積もっているような状況で、割れた食器や酒瓶は大き目のダンボール箱一杯になりました。その後これらの地区では断水となり、完全復旧には二日程掛かりました。私の次男は一時行方不明でしたが、大学の弓術部の合宿で千葉県の外房に行っていたとかで、翌日呑気に電話して来たので、皆から大いに顰蹙を買っていました。　　 　その後、東北の被災状況が続々と報道されるにつけ、その惨状たるや筆舌に尽くし難く、無力感を感じるばかりでありますが、直後から避難してきた方々を診る機会もあり、彼らの復活の日を思わずにいられません。そして、テレビで取り上げた被災された方のメッセージの中に、「東北人を甘く見るなよ」というようなややもすれば見逃してしまいそうな一文があり、その中に民族主義的な強い意思を感じそれを何度か繰り返している内に自然涙が流れました。 　嘗て、幸田文がラジオの番組の中で「人間八方塞がることもある、そこからが勝負だ」というような事を言っていたのを良く憶えています。嘘か誠か、二十八歳で二十八億円の負債を負い三十年掛けて返し終えた、とはさだまさしの話ですが、私にも他人に言いたくないような苦い経験は沢山あって、中でも四十年以上前、我が家が株で大損してすっからかんになった事がありました。その時、母が「明日から四人（妹がいます）で再出発する」と言い、二十年足らずで、広い土地を求め新しく家を建てるまでになったことには子どもながら目を見張る思いがしました。その時、親戚縁者からの支援などというものは一切無く、自業自得とはいえ薄情なものだと思ったものです。私に出来ることならば、なんでもしてあげましょう。ただ、他者からの応援は有れば有るほどいいが、月並みながら、自らの不運は自ら以ってで克服して行く以外にはないということです。被災された方々の幸運を祈らずにはいられません。（Ｍａｎｎ　Ｔｏｍｏｍａｔｓｕ）]]></description>
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		<title>同窓会</title>
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		<pubDate>Fri, 31 Dec 2010 01:34:15 +0000</pubDate>
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		<description><![CDATA[　同窓会といってもどちらかと言えば内輪の集まりで、大学時代の友人七人が年末一堂に会し旧交を温めるという、極ありふれたものです。当番幹事ｶﾞ概ね現住所に近い宿泊施設をそれなりに吟味し、一ヶ月ほど前に案内に同封してパンフレットを送ってきます。しばらく私は当番をしていませんが、七、八年前に担当した時には、殆ど何も考えずにつくば市内の研修施設を宿所に選んで不評でした。無論、送るべき資料のようなものもなかったと記憶していますが、皆が熱心に資料をコピーしたり、きちんと対応する誠実さには頭が下がります。 　こうした集まりの最初が何時だったかは判然とは思い出せませんが、二十年余りが経っている筈です。当初は、つくば市内の寿司屋や串焼き店に集まり、しこたま呑んで散会というあっけないものでした。誰が言い出したか、それが何時だったかの記憶もありませんが、［温泉にでも入って、泊りがけでどうか］という話になり、衆議一決、翌年からは各地の旅館や名の知れた宿泊施設を選んでは、大学卒業以来離れ離れになって病院や大学に勤務している仲間が遠路駆けつけるのです。 　今年も十二月四日土曜日、会場になっている川越の旅館に向かい、はなみずきクリニックの外来終了を待って出かけましたが、幹事から事前に郵送されて来たパンフレットによれば、島崎藤村が「夜明け前」を執筆したことでも有名で、創業百年余の老舗ということでした。正直のところ、無粋な私にとって旅館の格式などというものには余り関心がありません。 　一時間余りの運転の末、関越自動車道を川越インターで降りると、ナビを頼りに目的地にどうにか到着しました。私を除く六人はとっくに揃っていて、時々グラスを傾けつつ、やや控えめな酒宴はもう始まっていました。今年もまた六人全員が無事であることを確かめると、酒瓶が数本空になって居るのを見逃しませんでしたし、立て続けに注がれる日本酒をニ杯あおるのも忘れませんでした。早い連中は恐らく一時間以上前に到着し、持ち込んだ酒の栓を早速開けると、この時とばかり身近に起きた出来事を語り合っていたに相違ありません。遅れ馳せの常套としては逸る気持ちを抑えて遠慮がちに皆の話を聞きつつ、遠来の友人に対する儀礼的ないくつかの質問に応えながら血中アルコール濃度を一気に上げなければ、最後のひとりを待っていた友人等に申し訳がありません。 　三々五々温泉に浸かった後、七時を待って料理の用意された宴会場に集まると本格的な酒宴が始まりました。ただ、昔に比べてみんなの酒量がいくらか減ったことと、談論風発とは言えず、嘗て大いに盛り上がった艶話ｶﾞ影を潜め、子供たちがどうだ、というような話題も減って、紛れもなく我々が老境に向っていることを実感せずにはいられませんでした。そして、無論、斯くの如き感懐は今回が初めてではなく、もう何年も前から徐々にそう感じてはいたものの、普段どちらかと言えば意識することのない現実を、改めて自覚させられるひと時なのであります。それは同時に、全て満足とは到底言えないにしろ、ある程度の実績を引っさげて此処まで辿り着き、そして、また次に向って踏み出して行く活力を貰う機会でもあるのです。 　宴会場を後にすると、元いた部屋に戻り愈々二次会の開幕となるのですが、近年、十時を回った頃にはそこ此処に鼾が轟くという体たらくを繰り返し、同窓会というより寧ろ、「眠ろう会」とでも言うのに相応しい有様でした。しかし、今回は鼾を掻き出す者もなく、捕り止めのない話を持ち出しては、夜遅くまで部屋の中にみんなの声が響いていました。 　翌朝は川越市内見物の予定だったようですが、不義理を詫びてひとり「はなみずき」の日曜外来に向いました、皆の健康と幸せを祈りつつ。 　来年の幹事は私の番だそうで、先ずは、年の瀬のとある土曜日の午後、「はなみずき］集合と決まりました。　（Ｍａｎｎ　Ｔｏｍｏｍａｔｓｕ）]]></description>
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		<title>風の音にぞ驚かれぬる</title>
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		<pubDate>Sat, 09 Oct 2010 10:12:38 +0000</pubDate>
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		<description><![CDATA[　　途切れることのない真夏日だの、熱帯夜などと記録ずくめの猛暑といわれた2010年の夏は、そのまま行けば来年の春を通り越して2011年の夏にバトンタッチもしかねないと思わせるほどに、人々を呆れさせ、辟易させました。事ほど左様に、八月の末ともなればテレビの天気予報は、連日、記録が更新されただの、こんな気温は初めてだのと、騒ぎ立てていました。私がここで少し引っかかるのは、記録的な何々と言う時には、その背景を踏まえた必然性の有無を考慮しなければならないのではないかという点であります。つまり、植木屋で購入し庭に植えた苗木が日々成長して毎日記録を更新していっても、これを日々新記録とは呼ばないだろうということです。なぜなら、樹木はある時期必ず一定程度の伸長を呈するという必然性があるからであります。 　　地球温暖化が叫ばれて久しいのですが、人類の打つ手はいずれもpublic hazardsの後を追いかけて行くのであるから、それを食い止めることが出来るわけもないのです。それは、強風に煽られる野火の風上から細やかに水を撒いている様に似ています。結果、地球の大気圏温度は徐々に上昇してゆくという必然性の下に、予想通りの記録が残ることになります。そして、来年になれば、またまた「新記録」の夏になるのであります。もしも、予想が外れて、これまでにない冷夏にでもなったら、これこそ新記録というべきであって、そこにはsurpriseがあります。語法としては誤りでないにしても、語用としてはやや違和感の残る所でありました。 　　しかしながら、時は移ろい、日は翳り、風の音にぞ驚かれぬる。斯くも獰猛な夏も、膨張しつつある秋の気配に追い立てられるように、その後ろ姿の少しずつ霞んでゆくのがわかります。朝夕の温度はこのところ急激に下がり、愈々、吹く風は肌寒いとさえ感じるほどになりましたが、もんちゃんを連れて散歩に出かける時は、真夏の恰好と同じです。もうしばらくは伊達の薄着といわれようとも、滅多な事ではセーターやコートを羽織ったりはしないつもりです。朝な夕な、道行く人たちのいでたちは、あれほど嫌った暑さの夏を忘れてしまったかのようにな変節振りを見せている、と言うのは少し言いすぎでしょうか。　　（Ｍａｎｎ　Ｔｏｍｏｍａｔｓｕ）]]></description>
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		<title>もんちゃんとドッグランに行ったら</title>
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		<pubDate>Sat, 04 Sep 2010 03:20:50 +0000</pubDate>
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		<description><![CDATA[&#160;&#160;&#160;　私はその人を常に先生と呼んでいた。だから、ここでもただ先生と書くだけで本名は打ち明けない。（漱石　「こころ」） 　　そもそも、もんちゃんがはなみずきクリニックに住まうようになったのも、ｂｒｅｅｄｅｒたる「先生」が高山院長と彼を養子縁組させてくれたからであり、常日頃、院長は勿論、私もその僥倖に対しては深甚の感謝に絶えないのであります。私たちはその人をこれまでもそう呼び、そしてこれからもそう呼ぼうと思います。だから、ここでもただ先生と書くだけで本名は打ち明けません。　とは言うものの、これからご紹介するお話ではもんちゃんを主役に、先生には飽くまでも脇役を演じて頂いております。 　　ドッグランにもんちゃんを連れて行くという話は先生からのお誘いがあったからで、初め院長ともんど副院長のふたりでという計画でしたが、結局特段予定もない私も同行することになりました。 　　8月14日土曜日はお盆ということもあってか、午後3時半の最終受付時間、外来の待合には処方待ちの患者をひとり残すばかりとなっていました。折りしも，先生ともんちゃんの従妹の福ちゃんが受付に来たのを合図に、ドッグランの会場たる「ポティロンの森」に向かって出発したのであります。福ちゃんは如何にも雌の甲斐犬らしく、細身で、清楚な将来の貴婦人を思わせる佇まいがありました。先生、福ちゃん、院長、副院長は先生の車に乗り合い、私はひとりその後に続いて、はなみずき通りを牛久駅とは反対方向に向い、最初の信号を右折し国道408号線へと進んで行きました。　 　　途中、先生の車をを見失いましたが、走ることおよそ20分、進行方向の左手一帯は鬱蒼として木々の屹立し、通用に拓かれた道の先に目的の場所はありました。当該「森」というのは、森林伐採後に造成された広大な更地に生まれたアミューズメントパークのことです。驚かされたのは、予想に反して道すがらそこに向う人の多さで、当日午後4時から施設は無料開放となると聞かされ合点が行きましたが、千台余り収容可能な大駐車場には、その時を待って既に沢山の車が停まっていました。そして、そこから施設内に向う人の群れは入り口を目指して収斂し、それは遠景にあって、ただひたすら黙々として進んで行く様は無機質な流れのようにすら見えました。 　　もんちゃんは最早微かに聞こえる子供らの嬌声に反応したか、脇に逸れようと一段と強くリードを引っ張り、殆ど制御不能な状態になっていました。施設の入り口辺りまでは何とか辿り着きましたが、そこから先は、散歩の途中など時々そうするように、私がもんちゃんを抱っこして進まねばなりませんでした。 　　ドッグランのスペースは5～600坪の広さで、南に勾配をなした緩やかな斜面に位置し、斜面の中央は僅かに浅い窪地になっています。一見走り辛いと感じましたが，その予想は間もなく的中することになります。少し遅れて私ともんちゃんが先生らに合流し、取り敢えず斜面の最も上手に設えられたテーブルと椅子を選んでそこに腰を落ち着けることにしました。やや見下ろす場所から全体を望めば、多種多様な犬たちがそこかしこに走っています。ボールを投げればやすやすとこれを受け止め、一目散に飼い主の下に戻って次の指示を待つ、こんなことを何度も繰り返しているペア。リードをつけたまま敷地の中を散歩する用心深い人。放した犬を追いかける老人。犬同士がじゃれあい、飼い主たちが笑いながら談笑する光景。私の中で徐々に安心と油断が芽生えつつあったのは事実です。 　　終に思い切ってもんちゃんを手綱から解き放つ時が来ました。彼も初めは恐る恐るで、他の犬に付かず離れず、遠巻きにしていたのです。無論、私はその後について必死に走ります。時々は声を掛けますが、偶に振り返るくらいで、最早私の存在に頓着することはありません。そして、ひたすら彼の気持ちは高揚して行くのでしょう。気が付けば、息の切れた私から遥か先を走っていました。それでもやっと手を伸ばせば尻尾に触れる位までの距離になった時、もんちゃんの前に居た雌の柴犬がやにわにもんちゃんに向って吠え立てると、もんちゃんも即座に戦闘態勢に入りました。牙をむいたその柴とニ三度吠えて相手を威嚇するもんちゃんは正に一触即発、慌てて私は二匹の間に割って入りました。中腰でレフリーストップをかけた積りがやや柔らかめの斜面に足を捕られ上体の安定を維持出来ず、左の腰から転倒してしまいました。幸い二頭の交戦は免れたものの、ズボンは泥と下草の樹液にまみれたのであります。その時、咄嗟にもんちゃんを探しましたが、彼は既に私を置き去りにして先生たちの居る方角に走り去っていました。 　　ドッグランに愛犬を連れてゆく時、暮々も用心怠りなく、常に四方に注意を払っておかなければならないことを学んだし、喧嘩を売ってくる犬がいることを忘れてはいけないと悟りました。だからしばらくはもんちゃんをドッグランに連れ出す気になれません。　（Ｍａｎｎ　Ｔｏｍｏｍａｔｓｕ） &#160; &#160;]]></description>
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