春三月、そして四月に入っても天気は一向に定まらず、記録的な寒波が日本列島を襲い、諦めたように人々は凍てつく日々をひたすら耐えているように見えるのです。はたまた、思い出したように、一転初夏を思わせる陽気になっても、翌日は再び十度も気温が下がったりするものだから、風邪を惹いた患者を診る機会も増え、目まぐるしい外界の変化に体調を崩す人も少なくありません。
斯くいう私も、今月半ば、早朝喉の痛みで目覚めると、扁桃を久しぶりに腫らして、その後一週間余り咳と痰と咽頭痛に苦しみました。著しい寒暖の変化は白血球の活性度に影響を与えるし、恐らく免疫能全般から観ても、亢進というよりは寧ろ低下させる可能性が高いと推定されます。このところの寒さは花冷えなどという代物ではないので、底冷えする明け方に備えて可なりの重装備で布団の中に潜り込むようになりました。
スーパーマーケットに行っても、お蔭で野菜は高騰するし、せめて半切のキャベツを買っても、専らはモヤシで間に合わせるような自炊生活を群馬で送っています。そんなに節約しなくてもいいのだが、迷った挙句、手にした一個三百円の春キャベツを諦めました。
四月も下旬になって、季節外れに、慮外の霙は散り遅れた桜の花びらの上に降りしきって、枝々は砂糖菓子のような薄いピンク色の飾り物でたわわになりました。その日の午後も遅く、もんちゃんの散歩に出かけましたが、手袋をうっかりしたのが運の尽き、次第に手は悴んで知覚の鈍麻してゆくのが分かるほどでした。気付けば街は真冬の様相を呈し、鉛色の夕暮れが灯の点り始めた家々をすっぽり被い尽くしていました。これでも四月だ。
散歩の道すがら、彼は時折り体を大きく揺すって薄衣の如く纏わり付いた氷混じりの水滴を勢いよく弾き飛ばします。そして、時々こちらを振り返ると、そろそろ家に帰ろうという顔をします。殊の外もんちゃんは寒いのや冷たいのが嫌いで、雨の日の散歩は気が進まないと見えて、ドアを開けて出かけようとしてもその足取りには躊躇があり、強く促されれば、不承不承にとぼとぼと歩き始めるのです。況や、雪中行軍なぞは以ての外と思っているに相違ありません。
そして、その夜、霙は雪になりました。
思いの叶わなかった遠い昔の春の記憶を辿れば、悔恨と共に、うららかな陽光に照らし出された広がる野原の明るさとは対照的な沈んだ灰色の心が浮き彫りになって脳裏に甦って来るのです。だから、今年のこんな春の陽気は、例えば受験に敗れて春を諦めたやり場のない若者たちの心を寧ろ慰めているようにさえ私には思えるのです。 (Mann Tomomatsu)