はなみずきクリニックのブログ

    私はその人を常に先生と呼んでいた。だから、ここでもただ先生と書くだけで本名は打ち明けない。(漱石 「こころ」)
  そもそも、もんちゃんがはなみずきクリニックに住まうようになったのも、breederたる「先生」が高山院長と彼を養子縁組させてくれたからであり、常日頃、院長は勿論、私もその僥倖に対しては深甚の感謝に絶えないのであります。私たちはその人をこれまでもそう呼び、そしてこれからもそう呼ぼうと思います。だから、ここでもただ先生と書くだけで本名は打ち明けません。 とは言うものの、これからご紹介するお話ではもんちゃんを主役に、先生には飽くまでも脇役を演じて頂いております。
  ドッグランにもんちゃんを連れて行くという話は先生からのお誘いがあったからで、初め院長ともんど副院長のふたりでという計画でしたが、結局特段予定もない私も同行することになりました。
  8月14日土曜日はお盆ということもあってか、午後3時半の最終受付時間、外来の待合には処方待ちの患者をひとり残すばかりとなっていました。折りしも,先生ともんちゃんの従妹の福ちゃんが受付に来たのを合図に、ドッグランの会場たる「ポティロンの森」に向かって出発したのであります。福ちゃんは如何にも雌の甲斐犬らしく、細身で、清楚な将来の貴婦人を思わせる佇まいがありました。先生、福ちゃん、院長、副院長は先生の車に乗り合い、私はひとりその後に続いて、はなみずき通りを牛久駅とは反対方向に向い、最初の信号を右折し国道408号線へと進んで行きました。 
  途中、先生の車をを見失いましたが、走ることおよそ20分、進行方向の左手一帯は鬱蒼として木々の屹立し、通用に拓かれた道の先に目的の場所はありました。当該「森」というのは、森林伐採後に造成された広大な更地に生まれたアミューズメントパークのことです。驚かされたのは、予想に反して道すがらそこに向う人の多さで、当日午後4時から施設は無料開放となると聞かされ合点が行きましたが、千台余り収容可能な大駐車場には、その時を待って既に沢山の車が停まっていました。そして、そこから施設内に向う人の群れは入り口を目指して収斂し、それは遠景にあって、ただひたすら黙々として進んで行く様は無機質な流れのようにすら見えました。
  もんちゃんは最早微かに聞こえる子供らの嬌声に反応したか、脇に逸れようと一段と強くリードを引っ張り、殆ど制御不能な状態になっていました。施設の入り口辺りまでは何とか辿り着きましたが、そこから先は、散歩の途中など時々そうするように、私がもんちゃんを抱っこして進まねばなりませんでした。
  ドッグランのスペースは5~600坪の広さで、南に勾配をなした緩やかな斜面に位置し、斜面の中央は僅かに浅い窪地になっています。一見走り辛いと感じましたが,その予想は間もなく的中することになります。少し遅れて私ともんちゃんが先生らに合流し、取り敢えず斜面の最も上手に設えられたテーブルと椅子を選んでそこに腰を落ち着けることにしました。やや見下ろす場所から全体を望めば、多種多様な犬たちがそこかしこに走っています。ボールを投げればやすやすとこれを受け止め、一目散に飼い主の下に戻って次の指示を待つ、こんなことを何度も繰り返しているペア。リードをつけたまま敷地の中を散歩する用心深い人。放した犬を追いかける老人。犬同士がじゃれあい、飼い主たちが笑いながら談笑する光景。私の中で徐々に安心と油断が芽生えつつあったのは事実です。
  終に思い切ってもんちゃんを手綱から解き放つ時が来ました。彼も初めは恐る恐るで、他の犬に付かず離れず、遠巻きにしていたのです。無論、私はその後について必死に走ります。時々は声を掛けますが、偶に振り返るくらいで、最早私の存在に頓着することはありません。そして、ひたすら彼の気持ちは高揚して行くのでしょう。気が付けば、息の切れた私から遥か先を走っていました。それでもやっと手を伸ばせば尻尾に触れる位までの距離になった時、もんちゃんの前に居た雌の柴犬がやにわにもんちゃんに向って吠え立てると、もんちゃんも即座に戦闘態勢に入りました。牙をむいたその柴とニ三度吠えて相手を威嚇するもんちゃんは正に一触即発、慌てて私は二匹の間に割って入りました。中腰でレフリーストップをかけた積りがやや柔らかめの斜面に足を捕られ上体の安定を維持出来ず、左の腰から転倒してしまいました。幸い二頭の交戦は免れたものの、ズボンは泥と下草の樹液にまみれたのであります。その時、咄嗟にもんちゃんを探しましたが、彼は既に私を置き去りにして先生たちの居る方角に走り去っていました。
  ドッグランに愛犬を連れてゆく時、暮々も用心怠りなく、常に四方に注意を払っておかなければならないことを学んだし、喧嘩を売ってくる犬がいることを忘れてはいけないと悟りました。だからしばらくはもんちゃんをドッグランに連れ出す気になれません。 (Mann Tomomatsu)
 
 

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 「フラッシュライトの光るのに気付きましたか」と尋ねられたので、私は「いいえ」と答えました。事実全く気付いていなかったので、そう答える以外にはありませんでした。
 7月20日朝5時16分、私はいつもの道をいつものようにひとり車を運転し、差し掛かったのが国道17号線のとあるポイントで、走行距離にして100km余り。出発してから2時間20分ほど経っていました。目的地まであと約45分.。基本的には毎月曜日勤務先の病院の所在地に向かっておよそ130kmの行程を移動しなければなりません。、その日は振り替え休日後の火曜日でしたが、出発予定時刻より30分送れで自宅を出て群馬に向かいました。移動の途中必ずと言っていいくらいその辺りまで来ると強い眠気に襲われ、時に路側に車を停めて一休みすることもあります。しかし、その日私が選択したのは思い切りアクセルを踏み込むことでした。恐らくその瞬間、オービス一閃、猛スピードで通過する私と車の姿を捉えたのであります。
 少し言い訳がましい話になりますが、呼吸不全でいつ急変するかも知れない私の知人の父親である患者Sさんの所に一刻も早く顔を出さなければいけないと思っていたのも事実です。急変時には必ず連絡が入ることになっていました。 7月16日病院を離れる際に「少しの間留守にしますが、出来るだけ早く戻ってきます」と言い置いてあったからです。その時彼は「気を付けてお帰り下さい」と言いました。
 病院に着くと、夜間当直のH君に外来を開けて貰い白衣に着替え、6時半少し前、Sさん部屋のドアをノックしました、。酸素マスク越しに苦しい息の中、「朝早くからご苦労様です」と横臥の彼は頭を下げる動作をしました。
 7月23日金曜日、今度は逆に群馬を発って,つくばに向かう道中です。3時間半程の自動車運転ののち自宅に着くと、群馬県の交通機動隊からの封書を父から手渡されました。刹那、言葉では表現しづらい何とも不快な感覚が体の表面を急激に走ってゆくのが分かりました。中身を見なくともあの時以外にないと直感しました。そして、恐る恐る封書を開けると、まさにあのアクセルを踏み込んだ一瞬の出来事の報復であることを思い知らされる羽目になるのであります。。そして同時に、免許取り消しにでもなったらどうしよう、という不安が一気に頭を擡げて、絶望の淵から奈落に向かって落下して行く心持ちを味わうことになります。出頭,8月31日午前9時。
 その書類は厭味なことに走行時のスピードや超過速度の記載もなく、当方「犯罪者」とは言え、或いは何らかの意図があるにせよ、徒に不安感を煽るやりかたには不快感を禁じ得ず、それは丁度、猫が獲物のねずみを一気に食べずに弄ぶ仕草にも似ていると思いました。この時、走行速度によっては一発免許取り消しというのもあると思い込んでいましたので、通勤の問題から病院を辞めなければならないこともあるとまで考えていました。しかし、あれこれと思い悩めば悩むほどに、これまでの大変であった数多くの記憶が甦って、時間と共に不安の感情は寧ろ薄れて行くのが分かりました。そして、今回のことで最悪の場合を想定してみても、終には胆が据わって、失うものは左程多くはないぞと思うようになりました。そんな瘋に私が冷静さを取り戻しつつある折りしも、Sさんは7月27日、永眠されました。
 7月31日、朝9時、手紙の指示に従って出頭しました。「私は終始冷静でした」とでも言いたい所ですが、さすがに取り調べの警察官(婦警)の前に座った時には少し緊張しました。結果、38kmオーバー、減点6点。30日免停というものでした。罰金の額は知らされていません。ただ、次回簡易裁判所に出向く際には「10万円ほど用意して置いてください」といわれました。
 帰り、車を運転して午後の外来勤務に向かう時、目の前を如何にもゆっくり走る初心者マークの軽自動車を思わず追い越しそうになりましたが、一瞬オービスのフラッシュライトの幻影が脳裏を過ぎり、アクセルペダルに込め掛けた力を素早く抜くと、50キロ余りのスピードに最後までついて行きました。こういうのを教育効果と呼ぶのだろうと思いながら阪東橋を渡りました。 (Mann Tomomatsu)

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 7月25日、もんちゃんは2度目の誕生日を迎えました。体重は16.7kgと、一昨年の11月初旬はなみずきクリニック[来院」時に比べれば、二倍近くになります。この間の彼の成長は肉体的には勿論、情緒的にも非常に安定していて、夜、訳もなく啼いたり、人を咬んだりというようなこともありませんでした。外来中ガレージに繋がれているときに何度か吠えたことを記憶していますが、それも直になくなり、診療が5時間以上に及ぶ事があっても、ひたすら隣のガレージでおとなしく終了の時を待っているのです。微妙に雰囲気を読み、TPOをわきまえている点は、人間でも中々出来る芸当ではありませんし、常々私は彼に感心させられます。
 しかし、彼の日常行動の中で不可解なことがひとつあります。元気に門の外に飛び出して行っても、突然足が止まり、今来た道を引き返そうとしたり、逃げるように脇道にそれたりすることがあるのです。そういう時は決まって進行方向に幼稚園児や小学校に通っているような年端のゆかぬ子供がいるのです。或いはその姿が見えなくとも声がするだけで同じような行動パターンをとるのであります。だから、頑として、てこでも動かないような場合は結構重くなった彼を抱っこして子供らのいなそうな場所まで連れて行かなければなりません。以前、子供らにいじめられた事があるとかいう体験などはないばかりか、殆ど生まれつきそうだったような気がします。
 そんなことを何度も何度も繰り返す内に、私にはひとつの確信が芽生えてきたのであります。これはどうも彼の前世と関係があるのではなかろうということです。しかも、彼を見た人なら誰もその風貌を端正と言い、これに異を唱える人にあった事がありません。そして、じっと見据える眼差しは恰も人のそれのようなのであります、それも可なり高貴な。つまり、彼はその前世でどこかの国の見目麗しき王子であった日々を送り、その多くを戦いに明け暮れたのです。国家のためとは言え殺戮の限りを尽くし、後に生き残ったその遺児達の復讐にあって若くして命を落としたのではないでしょうか。その時の恐怖の体験が今ももんちゃんの中に魂の記憶として残っているのではないかと私には思えてなりません。罰として、現世彼は畜生界に身を置いているのですが、神は彼の中にに前世の遺物をいくつか残しました。
 残念ながら、犬の寿命は人間のように長くはありません。だから、こうして一緒に居られる日々を大切にし、出来るだけ元気にいられるよう彼を取り巻く者達で心遣いをしつつ育んでゆこうと改めて心に誓った彼の誕生日でした。犬の最高齢の記録は甲斐犬で、25歳というのがあると聞いています。 (Mann Tomomatsu)
 
 

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  かねてより茂子先生は5月23日、東大・五月祭に行くことを大変楽しみにしていました。一方で、私は殆ど無関心だったのですが、気が付けばいつの間にかそれに同道するという話になっていて、彼女の計画では日曜日の外来が終わり次第牛久駅より常磐線に飛び乗って上野に向かう段取りでした。そんな中、折角だからと、半ば強引に勧誘し、院長ともんど副院長も参加することになり、いっそ車で行こう、と急遽決まりました。そこで、エコ減税目当てで昨年暮れに申し込み、5月初めに納車になったプリウスに4人は乗り込み、何とか午後1時半には「はなみずき」を出発しました。折りしももんちゃんの体毛が抜け替わる時期でもあり、カーブを曲がる度に彼の体が大きく前後左右に動揺するので後部座席は毛だらけになりました。
  休日ということもあって、常磐自動車道jも首都高をおりてからも可なりスムーズに進むことが出来、案に反して2時半前に赤門の前に着きましたが、赤門の周りはもとより、その前の道路にも人がはみ出してくるような賑わいでした。当日の来校者は7万人を超えるという話もあながち誇大な宣伝とばかりは言えない雰囲気でした。取り敢えず赤門の正面の位置に車を停めると、私を除く3人は後ろから来る車に轢かれぬようにすばやく下車すると、反対車線を越えて無事門の近く迄到達しました。記念写真なぞを撮った後、一度だけ私に向かって手を振ると、3人は行き交う人の波に呑み込まれるように門の向こうに消えて行きました。そこまで確かめてから私は近在の駐車場を求めて車を発進させたのであります。
  考えてみれば当たり前のことですが、東大の周辺に駐車場がたくさんあるはずもなく、あったとしても満車の札がぶら下がっているといった具合で、ぐるぐる周辺を経巡ってみたものの結局車を預けることは出来ませんでした。仕方なしに、みんなを降ろした場所に再び戻ってくるハメになりました。そして、道路の左端ぎりぎりに停車し、じろじろ覗き込む人たちの視線を無視してそこに留まる覚悟をしました。待つことおよそ20分、息子から電話が入り、「みんなを待たせておくから正門に来て欲しい」というものでした(赤門は正門ではなかった)。赤門を右に見ながら100mばかり行くと正門が見えてきます。 
  今度は正門の正面、道を挟んだ向こう側に車を停めると、間もなく高山院長ともんど副院長ガやってきて車に乗り込み、代わりに私は通行人の監視の目から解放され、晴れて自由の身になったのであります。学内にひとり残っていた茂子先生と連絡を取り、予め説明を受けてあった息子たちのやっている模擬店の場所を探し当て、お約束のフランクフルトソーセイジを6本購入しました。多いに越したことはないと、茂子先生が10本買おこうと言ったところ、そんなに買うものはないと断わられていました。普段からそうですが、彼は無愛想に我々両親の応接をすると間もなく売店の中に戻っていってしまいました。僅か10分足らずの滞在で、最後に息子と記念写真も撮りました。
  帰りの車の中、もんちゃんがみんなから可愛いと言われ、たくさんの人から声を掛けられ、鼻高々であったと院長が嬉しそうに話していました。無論、数箇所にマーキングしてくることも忘れなかったようです。東大構内で堂々の立ち居振る舞いをみせたであろうもんど副院長の雄姿を見ることが出来なかったことは少し心残りです。 (Mann Tomomatsu)
 
 
 

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 平成20年7月1日、この日は確か火曜日であったと記憶していますが、我が「はなみずき号」が、行く手の困難を予感しつつも勇躍大海原に船出をした日であります。             
 翻って、僅か2年とはいえ、その小舟は社会の荒波に揉まれつつ、数え上げれば切りが無い位様々な出来事に遭遇しました。脳裏に甦って来る多くは、困ったことや辛かったことであり、時間の前後も必ずしもはっきりしない程です。しかし、幸運にも、それらの殆どを何とか乗り越えることが出來、我々を乗せた「はなみずき号」は順風満帆とまでは言えませんが、座礁するような事も無く前に進んでいると言えそうです。
 いやしくも、小規模とは言え、医院という一種のカンパニーの経営は容易いことではなく、特に、比較的流動的な従業員を安定的に確保するといった最優先課題を解決して行く持続的、且つ多様な局面に対する細心の努力は並大抵ではありません。 取り分け、週の大半を独りで切り盛りしてゆく高山院長の大変さは想像を遥かに超えているものと推定され、週末の僅かな勤務時間、クリニックと関わっている私としては申し訳ない気持ちであります。  
 福音と言えば、その年の11月、もんど副院長がはなみずきクリニックの一員になったことです。彼は院長の腹心として、また有能な番犬として、末長く当院を支えてくれるものと信じています。そして、時々彼を訪ねてくれる患者さんたちの心を慰めてくれることに感謝します。久保田君、山下さん、小城さんに感謝します。 (Mann Tomomatsu)

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 春三月、そして四月に入っても天気は一向に定まらず、記録的な寒波が日本列島を襲い、諦めたように人々は凍てつく日々をひたすら耐えているように見えるのです。はたまた、思い出したように、一転初夏を思わせる陽気になっても、翌日は再び十度も気温が下がったりするものだから、風邪を惹いた患者を診る機会も増え、目まぐるしい外界の変化に体調を崩す人も少なくありません。
 斯くいう私も、今月半ば、早朝喉の痛みで目覚めると、扁桃を久しぶりに腫らして、その後一週間余り咳と痰と咽頭痛に苦しみました。著しい寒暖の変化は白血球の活性度に影響を与えるし、恐らく免疫能全般から観ても、亢進というよりは寧ろ低下させる可能性が高いと推定されます。このところの寒さは花冷えなどという代物ではないので、底冷えする明け方に備えて可なりの重装備で布団の中に潜り込むようになりました。
 スーパーマーケットに行っても、お蔭で野菜は高騰するし、せめて半切のキャベツを買っても、専らはモヤシで間に合わせるような自炊生活を群馬で送っています。そんなに節約しなくてもいいのだが、迷った挙句、手にした一個三百円の春キャベツを諦めました。
 四月も下旬になって、季節外れに、慮外の霙は散り遅れた桜の花びらの上に降りしきって、枝々は砂糖菓子のような薄いピンク色の飾り物でたわわになりました。その日の午後も遅く、もんちゃんの散歩に出かけましたが、手袋をうっかりしたのが運の尽き、次第に手は悴んで知覚の鈍麻してゆくのが分かるほどでした。気付けば街は真冬の様相を呈し、鉛色の夕暮れが灯の点り始めた家々をすっぽり被い尽くしていました。これでも四月だ。
 散歩の道すがら、彼は時折り体を大きく揺すって薄衣の如く纏わり付いた氷混じりの水滴を勢いよく弾き飛ばします。そして、時々こちらを振り返ると、そろそろ家に帰ろうという顔をします。殊の外もんちゃんは寒いのや冷たいのが嫌いで、雨の日の散歩は気が進まないと見えて、ドアを開けて出かけようとしてもその足取りには躊躇があり、強く促されれば、不承不承にとぼとぼと歩き始めるのです。況や、雪中行軍なぞは以ての外と思っているに相違ありません。
 そして、その夜、霙は雪になりました。
 思いの叶わなかった遠い昔の春の記憶を辿れば、悔恨と共に、うららかな陽光に照らし出された広がる野原の明るさとは対照的な沈んだ灰色の心が浮き彫りになって脳裏に甦って来るのです。だから、今年のこんな春の陽気は、例えば受験に敗れて春を諦めたやり場のない若者たちの心を寧ろ慰めているようにさえ私には思えるのです。  (Mann Tomomatsu)
 
 
 

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  時は3月14日、早春の朝未だき、事件は起こりました。
  もんちゃんを連れ、いつものように牛久シャトーの生垣沿いを歩いていると、正面の門の脇にある電柱に大型犬の繋がれているのが見えました。それは極ありふれた黄土色したラブラドールで、一見特に問題もなさそうな犬でしたが、それが第一の判断ミスでした。それでも、我々は歩道を降りて彼の行動範囲を避けるように通り過ぎようとしました。しかしながら、明らかに間合いを測るの点において私は大きな第二のミスを犯してしまいました。それはむこうのリードの長さが目測以上に長かった点ともんちゃんが彼に親近感を抱いて近づく可能性を考慮し、より短めにリードの位置を持ち替えることをしなかった点にあります。しかし、これまでに他の犬に必要以上の用心をした事が無く、脅威を感じたこともありませんでした。
  不覚にも、私の予想を裏切って彼は勢いよく飛び掛ると、もんちゃんの首に咬みついたように見えました。虚を突かれた私は反射反応的にもんちゃんを強く手前にひっぱっていましたが、後で考えると大変危険な行為であったと反省しています。頚動脈の付近に噛み付いていたら、皮膚と一緒に血管損傷を惹起し,極めて不幸な結末になった可能性があるということです。一旦咬みついた彼の顎の力は物凄く、更に両手を上下の顎に掛けて開口させようとしましたが全く開く気配がありません。初めもんちゃんも相手の暴挙に対して敢然と挑みかかるような素振りを見せましたが,首が自由にならず相手に噛み付くことも出来ず、もがいていました。その時、道路に這い蹲るような恰好から上体を起こして振り向けば、ラブラドールの飼い主はなすすべなくリードをただ引っ張っているだけでした。最早絶望的な心持で私は犬の顎に渾身の力を込めていました。
  いつ彼の口が開いたのかはよく分かりませんでしたが、気が付くともんちゃんは咬みつきから解放され自由になっていました。慌てて受傷具合を確認しましたが、てっきり頚に咬みつかれたものと思っていたのに、慌て者のラブラドールがまんまと口にしたのは首輪とリードの連結部の辺りだったようです。綺麗なもんちゃんの顔が傷つけられる事も無く、大事にも至らなかった安堵感で一息ついて、見れば私の右手の掌から可なり出血していました。調べると七、八箇所の咬傷があって、痛みと拇指の痺れを自覚しました。遠くから眺めていた牛久シャトーの警備員と、通りすがりの早朝散歩の方が[大丈夫ですか」とかなんとか声を掛けてきましたが、「だいじょうぶでもない」と答えました。
  格闘数分、一種の虚脱感に襲われて出血する右手掌を左手で抑えながらしばしの間そこに立っていましたが、私はラブラドールの飼い主に近づいて、その氏名と住所、電話番号を確認しました。そして、今後こういう事が無いようにして頂きたいと釘を刺しておくのも無論忘れませんでした。
      ラブラドールがおとなしい非好戦的な犬であるという、他の多くの人が持っているであろう思い込みが私にもあって、とんだ目に遭いました。しかし1例の例外を以って、彼らが盲導犬や介護犬として健気に務める従順で賢い犬種であるという一般的な評価を覆すものではありません。ただ、それ以後は前から犬がやって来たら自然と身構えてしまうようになったのも事実です。まさかのときは、向かってくる相手の眉間を思い切り蹴るのが良いときかされましたが、そんなことのない様にと思うばかりです。
(Mann Tomomatsu)
 

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  年が明け、長男の医師国家試験(左程大変でないとはいえ)と次男の大学入試が目前に迫って、心必ずしも穏やかならざる日々を送ってまいりました。長男の結果に関しては直後の自己採点に誤りがなければ、殆ど問題なさそうでしたが 流石に、次男の方はのんびり結果待ちというわけにはいかず、神のない私も祈り、祈って、羽成観音に二度、八幡様にはかれこれ三、四度足を運びました。受験以外のこともついつい一緒にお願いするので、頼まれた方も面食らっていたかも知れません。
  長男の結果は3月29日発表の予定と言うことで、未だ合否は不明ですが、次男は、万一の僥倖とまでは言わないにせよ、志望校に通ることが出来て一安心と言うところです。前期試験終了直後、後期試験用の過去問を買い込み、休む間もなく勉強を始めていましたから、3月10日以降の解放感は、当人はもとより我々家族にとっても、簡単に言葉では言い表すことができないほどでありました。 1年半余り、はなみずきクリニックの二階に起居し、食事のことを初め、あれこれと彼の面倒を見て下さった院長には心から御礼申し上げます。
  高校の卒業式には3月18日家内と一緒に出席しました。私も家内も息子が首席の賞を頂けるとばかり思っていたので、校長賞の次に中高連賞というよく分からない賞の受賞だったので少しがっかりしました。しかし、必ずしも本意の学校ではなかったにせよ、中高6年間無欠席で頑張ったことに対しては心から祝福してあげたいと思います。そして、またひとつ、私の人生に彩を与えてくれたもう一人の息子に対して感謝したいと思います。更に、前期試験の発表前夜,熱発して床に伏せっていた彼の顔をぺろぺろして看病してくれたもんど副院長にも感謝。  ( Mann Tomomatsu )
  

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  一月十四日、私は九十四歳でなくなった伯父の告別式に出席する為、午前の外来は臨時休診にしてあったのでいつもよりはゆっくりの起床を予定していました。しかし、その日の早朝、眠りを破る携帶電話の呼び出し音で跳び起きると、電話の向こうの院長の声は私を驚愕させるに充分で、もんちゃんのリードが切れて目下脱走中というものでした。かつて我が家で飼っていた[リキ」の散歩で、リードなしでも全く安全だった谷田部の田んぼや畑の畦道ならいざ知らず、花見月通りともなれば、朝とはいえ、交通量も可なりあるし、理論必然的に不幸な顛末の予想が頭の中を駆け巡りました。喉は渇くし、焦りのいわく言い難い心持が全身に溢れてくるしで、とてもそこにじっとしていることが出来ず、すぐさま車に乗って牛久に向かっていました。
  出かけて間もなく第二報が入りましたが、既に1kmほど走ったが姿は見失ったままで、仕方ないので、家に戻って自転車で探しに出かけると心細げに呟くと電話は切れました。私が牛久にたどり着くのには最短でも3時間はかかるので、その間院長を援助してもらう為に、もんちゃんを知っている人で、捜索に参加してくれそうなメンバーに片っ端から電話を掛けまくり、再び車を猛スピードで発進させました。その時の私は、声は上ずり、説明もうまく出来ず、全く冷静さを失っていると思いましたが、落ち着いた振りをする余裕もありませんでした。
  いつも牛久に帰るときにはそうするように在来線を選択してしまったので、通勤の自家用車が徐々に増えて、焦る気持ちとは裏腹に車の流れは甚だゆっくりで、短気者の私は車の中で前を殊更のろのろ走る運転者に向かって怒鳴り散らしていました。その時の気持ちは余りうまく表現できませんが、ただひたすら絶望的な心持であったことは間違いありません。
  こうして顛末記を書いているのだから、もんちゃんが無事生還したことはもちろんですが、私と同じくらい、あるいはそれ以上に絶望感に打ちひしがれていた院長のことを思うと心からお詫びしたい気持ちになります。なぜかと言えば、切れたリードを作って提供したのは私だったからです。自信作だっただけにその点でもショックでした。
  結局、家に戻った院長が予定していた自転車はパンクしていて乗ることは出来ず、再びとぼとぼと歩き出したそうです。それから10分ほどして家の前に差し掛かった時、少し開けておいた門から家に戻ったもんちゃんが何食わぬ顔で[何しているの僕はここだよ]と言わんばかりに尻尾を振っていたのだそうです。
  院長から最後の電話を貰った時、私の車は渋川の住居から15kmほど走った後でした。捜索依頼をした人たちにお詫びの電話をしたあと、絶望感から反轉、安堵感に満たされて、私はゆっくり来た道を戻りました。
  甚だしい緊張感から急速に解放された時には常にそうであるように疲労を伴う虚脱感が全身に染渡るようなそんな感じでしたそして、10時からの伯父の告別式には予定通り出席しました。  (Mann Tomomatsu)
 
 
  
 
 

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  はなみずきクリニック開院以来1年半が経ちました。欲を言えばキリがなく、妥協しても際限を知らず、大雑把な言い回しをすれば、可もなく不可もない比較的無難な滑り出しであったと思います。これも偏に院長の忍耐と冷静な判断、彼女を支えるスタッフの勤勉さの賜物と心得ています。
  3年目を迎える今年は、これまで以上に無駄の少ない診療体制作りに心掛けなければならないと考えていますが、これは単に光熱費や物品消費の節約ばかりを指すのではありません。例えば、カルテ上の保険証登録の誤りや薬の数え間違いといった、徐々に減ってははきているものの繰り返される単純ミスをゼロに近づけるみんなの努力が、臨牀、経営と事務全般、安全管理等、全てをこなさなければならない院長の持続力を支える必須の条件であるからであります。
  極小さなヒエラルキーの中で、非力ながらその底辺を支えるのが私の仕事であろうと覚悟を新たにしています。無論、より精度の高い臨牀を心掛ける点については言うまでもありません。地域医療の一部を支える医療機関としての地位向上を目指して今年も頑張って行く所存であります。 元旦。 (Mann Tomomatsu)

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